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「いや、人目がなきあそれどころぢや済まんでせう」
房一は苦が笑ひをした。
若しさうだつたら、そのまゝおとなしく坐つてはいられまい。それは、皆の前で公然と頭を押へられた所を自認するやうなものだ。前例にもなるだらう。一度きまつたとなつたら又打破るのは容易ではあるまい。それは、河原町で今後医者として立つて行けないことを意味する。頭を押へられたきり、ついには逃げ出すより他はないといふ破目に陥るだらう。彼は思つた。
「どうしなさつた」
突然はじまつたこの二人の親密な往来を、小谷は苦笑しながら、半ば無関心で眺めた。女といふものは妙なことから仲よくなるものだ、と思つた。が、由子の口から盛子のことを聞くにしたがつて、彼は高間医院について満ざら他人でもないやうな気に自然となつた。
「さうです。相談があるからと云ふんで帰つて来たんですが、僕なんか何も問題はありませんよ。返すものがあれば、いつでも返します。何もないんですよ。家と、田地が少し。それも抵当に入つていますよ。僕がしたわけぢやない。兄貴が選挙の費用だの何だので金が要つたのでせう」
房一は、犬を制した。ところが感ちがひしたジョンは堤防の方へ大急ぎで走つて行つたが、房一と徳次の二人がそのまゝ河原にしやがみこんだのを見ると、又一目散に戻つて来、まはりの草の中を嗅いで見、二人を眺め、一向に動きさうもないと知ると、石ころの上に腹を着けて長い舌を出した。が、急に尻尾を振つた。二人が彼の方を向いたからである。
小谷は不安げに呟いた。
「さうかの。だが、さう云うても――」
「何だらう、山師を煽おだてて又一儲けしようてんだらう」
病症は大体察していた通りの単純な乾性肋膜炎であつた。熱の工合を見ても進行性ではないし、他の部分にも異状はなかつた。だが、房一は念入りに診察した。この病気は念入りに診察するだけで患者にとつてもはたの者にとつても少なからぬ気休めになるものだといふことを承知していたからである。そして、今まで医者にかゝらずにいたわけはない筈だから、多分大石練吉に診てもらつていたにちがひないが、いつ診ても目立つて変化のないこの病気は医者にとつてもかなり退屈なものだし、あの練吉が終ひにはいゝ加減で切上げるやうになつて、患者側の不興を招いたとも想像された。だが房一はそんなことには一切触れなかつた。彼はたゞ綿密に診察を終へ、二三の注意を与へ、更に一週間に一回の割で今後も往診に出向くことを約した。多少意外に感じたのは、一人息子がこの種の病気になつた場合の大抵の父親は、ひどく神経質になつて病状を根掘り葉掘り訊くものだが、相沢は房一が説明する以上のことは知らうともしないことであつた、だが、発病以来すでに幾人もの医者にかゝつたのは明かで、誰が診ても同じやうな症状を聞かされて、今では慣れつこになつているのだらう、と思はれた。
「や、それでは――」
ところが、徳次はぽかんとした表情を浮かべたきりだつた。